求める場とは自分
皆、場を求めている。
求めているからには安心する場だ。
安定は安心につながる。
だから安定を求める。
決まったレールの上を歩くのは制限がありながらも安定はするからそこを求める人も多い。
レールの上ではなく、自由に自分の道を歩けと言われてもどうしていいかわからない人も多いはずだ。
どうしていいか分からないまま人や社会、世間という名の海に放り出され、溺れる。もみくちゃにされながら息は浅くなり、沈んでいく。
その中で地に足をつけ、深く息をしている人は自分の道を歩いていける。
「地に足をつける」ための地面はどこにあるのか。
それを探す行為を世間では「自分探しの旅」という。本当の旅に出ても自分が見つかるとは限らない。「自分」という存在を自分の外に探しているうちは決して見つからない。
「自分」という地面は自分の中にある。
自分の道は自分の中にしかない。
当たり前のことだ。
自分という存在が自分を安定させ、安心させる。
安心する自分。安心させる自分。その両方を感じている自分。
安心は深い息。
息とは呼吸。
呼吸は身に、心に、神に作用する。
同じ音は意識的なつながりを持つ。
健全な心は、健全な体に宿り、健全な意識を形成する。
健全とは「全てに健やかなること」
つまり自分に適う自分であること。
武の稽古によってそこに至るのが武道。
武道とは自己実現。
武道とはそこに至るための動的瞑想。
武道とは自分を自分たらしめること。
自分に適う道を知れば、他者にとってのその人自身に適う道を認めることもできる。
真に自分と人との違いを、多様性を認めることができる。
それこそが「和合」
そこにある自分のあり方を「愛」と呼ぶ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません