稽古で伝えていること、得られること
最近、合気道の稽古では「伸びる働き」ということをお伝えしています。以前から自分の中で感覚としてこうすればいいというのはあったものの再現性が無かったのですが、最近は原理的にも体の働き的にも再現性が出てきたので、積極的にお伝えするようにしています。
伸びる働きがあると相手とのぶつかり合いが減ります。変な力みも減るし、稽古していての疲労感が変わります。
変な力みというのは体が縮まる働きを生みます。意識的に縮めるのではなく、勝手に縮んでしまうので、自分ではコントロールできません。ちょうどびっくりして体を縮めて身構えてしまう感じです。こういう場合、動きは萎縮してしまいます。
動きが萎縮している時、大概呼吸は止まっています。息を急に吸い込み、体が膨張したまま息を止めます。この状態のまま動けば相手と力がぶつかる、ぶつかってさらに体が力み、動けなくなる、という悪循環を生みます。
こんなことをしていて疲れないわけがありません。こういう状態が続くと体に不調をきたします。稽古であればケガのもと、日常生活がこのような体の状態であれば心身の不調のもとです。
伸びる働きというのは「動ける体の状態」を生みます。体に伸びる働きがある状態というのは力みが外に出る状態です。息は自然に吐いていてリラックスしているが力のない腑抜けな状態とは違います。
自分が一番楽に動ける時に体に生まれている状態が「伸びる働き」の感覚に1番近いと思います。
合気道で感じていたことを呼吸・整体やシステマのワークで実感として得られ、再現性を持てた一例です。
結局は自分の体が変わったからできるようになったことであり、変わった自分を観察したことで再現性を持たせることができたと言えます。
体が変わり、動きが変わり、働きを得る。そしてその先に自分の意識の変化があり、その先に道が開かれる。
その道というのは自分の道。天命と呼ぶこともあれば、悟りということもあり、自分というものの中から生まれた動きが、言葉が、選択が、生き方が自ずと見出されると思います。
そうした道へと向かう方向性の稽古をしていると、稽古後の道場の空気感が変わっています。そこにいる稽古者の顔つきも変わっています。
これを「魂が浄化された」と表現する人もいるかと思います。「癒された」と表現する人もいるでしょう。「元気になった」という表現がしっくりくる人もいるはずです。
どんな表現であれ「自分」という存在を自分の全てで感じていることは同じだと思います。稽古、ワーク、瞑想といったものがここで1つに繋がります。
取り組むものが違っても「自分」という共通した存在を見出し、感じ、生きることができる。そんな稽古をしていきたいと思っています。
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