自分に従う体験
10/12夜に観測史上最大と言われる台風19号が本州に上陸し、様々な被害をもたらしました。
私はこの3連休、12日に呼吸・整体の講座(午前・午後の2つ)、13日に活法の講習(1日日程)、その前後にシステマの練習に参加と盛り沢山の日程で東京、神奈川に出張予定でした。
結果として出張は取りやめたのですが、そこに至る過程で大きな経験をしましたので、そのことについて書いておきたいと思います。
◯出発前の慢心
テレビやネットでは12日夜の上陸に向け様々な情報が出回っていました。9月に上陸したものより強力で観測史上最大の台風だと。
この9月の台風の際、やはり出張で東京にいたのですが、ビル群の中のカプセルホテルに宿泊していたため、夜中に風雨の音も存在も感じることなく翌朝外の様子を見て「あ、台風来てたんだな」と思ったくらいでした。
電車も早朝は運休していたものの徐々に復活し、私個人の予定には何の遅れも支障もなく過ごしていました。
その経験と共に自分自身が天候が原因で予定の足止めを食らったことが少ないもあり台風が来ても東京はそれほど被害は大きくならないし、被害があってもすぐ復旧するだろうという楽観的な気持ちでいました。
10日、台風が上陸する12日午後の講座の中止の連絡が来ます。この時点では12日の午前と13日の講習に関しては開催予定。12日午後を凌げば問題ないなと考えていました。
出発は10/11の昼過ぎ。何となく後回しにしてしまっていた旅の準備を直前の午前中に。横手駅から北上線に乗り新幹線に乗るため北上駅に向かいます。到着まで1時間ちょっとの道のりです。
◯葛藤と決断
昼過ぎに活法の先生と現状確認と雑談を交えてメッセージのやり取りをしながら駅に向かいました。まだ行くこと前提でやり取りをしています。
切符を買い改札を抜けます。何だかいつもの旅に出るワクワク感がありません。あまり気にせず電車に乗り込み、シートに座ります。
発車。
何だか落ち着きません。
するとLINEで連絡が。
呼吸・整体のM先生からです。JRの計画運休の知らせを受け、12日午前の講座も中止にするとのこと。これで12日は全て予定が無くなりました。
ですがその日は11日。まだ新幹線も都内の各電車も通常通り動いています。13日の予定は復旧を見越して開催予定。なんとなくモヤモヤしてくるものの、もう電車に乗っているしな、多分なんとかなると言い聞かせます。
するとLINEでM先生から返信がきます。
「小松田先生は大丈夫ですか?」
いつもならこのような返信は来ないイメージがありますが、状況説明と東京には行くつもりということを返信します。
返信はしたものの、不安感がとても大きくなっていました。
予定がに次々中止。都内の電車は計画運休。行ってもとりあえず丸一日はゴロゴロしているだけ。
しかしもう出発して電車に乗ってしまっている。なんだかんだで行ってしまえば何とかなりそうな気もする。
考えても考えても、行く理由、行かない理由、どちらも浮かんできます。
ここで自然呼吸のチェックをしてみました。やったことは前屈するだけなのですが、明らかな違いが出ました。
東京に向かおうとすると息が少し浅くなる。引き返そうとすると息が少し楽になる。
しかしそれでもまだ葛藤がありました。まだ買った切符の区間の半分も進んでいません。一度行こうと思った流れ、何とかなりそうという思い、買った切符を無駄にしたくないという気持ちが判断を鈍らせます。
まだ目に見えていない危険予想と目の前の損失を天秤にかけた時、目の前の損失をしたくないと人は考えてしまうもの。後になってからでは何とでも言えますが、その場面におかれた時の決断は相当にエネルギーが要ります。そのため思考停止して省エネにするのも無理のないことなのかもしれません。
呼吸に従うなら引き返した方がいい、でも進みたい気持ちもある。
不意に車内放送が流れます。
「下り線の待ち合わせのため3分ほど停車します」
天啓だと思いました。
駅員さんに下り線が横手行きかを確認して電車を降ります。
電車の扉が閉まり、発車。
電車を見送り、これで完全に東京行きの予定はなくなりました。
と、発車した電車の陰に停まっていたらしいもう一両が発車。
ホームの位置を勘違いして、下りの電車を逃してしまいました。
次の電車が来るまで3時間。
下りの電車の後ろ姿を眺めながら家に迎えをお願いする電話をかけました・・・
以上が今回の顛末です。
◯考察として
全て終わってから思い返してみると、呼吸と意識という点から見た場合、出発前のから意識の乱れがあったように思います。
その違和感が準備に手がつかなかった理由です。電車に乗って落ち着かなかったのもそのためです。
その後の電車が出発した直後のLINE、いつもなら来ないような返信、電車の待ち合わせのための停車は全て「引き返せ」というメッセージだったのでしょう。
しかし頭で考えていても、進んでいい理由、引き返した方がいい理由はどちらも同じように自分の中に生まれます。
そこで呼吸に、つまりは自分の体に聞いてみるわけです。
無論、呼吸というものが判断基準となる自分であることが前提です。何の前提もなく呼吸で判断しようとしても、意図的に吸ったり吐いたりして正確な判断基準にはなりません。
一方で、呼吸で判断したとしてもその結果を選ばないこともできます。
今回の例で言うと、呼吸に従って引き返すこともできるし、逆らって進むこともまた可能であるということです。
野生動物が自然災害を事前に察知して集団で移動することはよく知られていますが、人間にもそうした本能はあります。
ありますが、頭で考えること、思考というものはその本能の声をかき消すくらいに強いものです。
また本能に従う選択が頭で思い描いたものと違い、その時の自分にとって心地良くないものである場合もあるのです。
そういう選択を迫られた場合に本能に従うか、思考に従うかはその人の生き方、あり方の問題で良い悪いではありません。
その先にある結果は自分だけが享受するもの。
自分という存在が潜在的に叶えたい思いを叶えているだけに過ぎません。
それを何かしらの基準を引っ張ってきて幸せだ不幸せだと言ったところで、どちらもその人の思いが叶っただけに過ぎません。
今回の私の選択も、その選択をしたから良かった、悪かった、被災した、しなかったではなく、ただ自分の進んだ道がそうだったというだけのことです。
とはいえ、呼吸に従う決断をしたという体験は自分の中ではかなり大きかったと思います。
◯最後に
今回のことは武道における「護身」、活法における「超自然体」の体現であったと感じています(実際にそのようなお言葉を頂きました)。
呼吸・整体における「呼吸のニュートラル」「瞑想状態」「心身の調和」とは合気道における「勝速日」「和合」「愛」といった表現と同じものだと感じていますが、そういう意味では武道の境地というのは武術の延長戦上や平行線上にあるものではないと言えます。
そこを一つ飛び抜けてこそ先の世界が見えてくるように思います。
最後に今回の台風で被災されて各地の皆様にお見舞い申し上げると共に、一日も早く復興がなされることを心より祈っております。
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