1年半の集大成のようなもの
昨年から活法のレベルアップのために必要な武道的要素に関してH先生から質問を受けていました。最近かなりの部分まで技術的に解析ができ、師匠からもある一定の評価を頂いたと話を聞きました。
主に合気道的な視点からお話していましたが、システマや呼吸・整体によって合気道に関する解析が進んだ面も多く、実に多くの視点から治療というものを解析し、その共通点や相違点、必要な要素やいずれ辿り着く境地などを学ぶことができました。
ようやく「合気道」と「治療術」、少し大きく捉えると「殺法」と「活法」というものが見えてきたような気がしています。
治療を1つのビジネスと捉えると、治療家としてのレベルアップは無い方が良かったりもします。行く度に技術の向上があると患者に提供されるものも変化している場合があるからです。
治療を技術であるとか学びと捉えると、レベルアップとか技の変化は必然です。毎月少しずつ患者側の受ける技の感触は変化しています。気づくかどうかは別にして。
この1,2年での活法の解析はかなり大きな変化があったので、2年前の自分の技と今の自分の技にはかなり大きな違いが出ています。技の形は変わらないですが、そこで生まれる働きが大きく変わっています。
治療の技術が向上することで、治療であるとか健康であるとか、人間というものの捉え方、自然の働き、世界の成り立ちといったことまで捉え方が変わってきています。
こればかりは年数を重ねれば分かるというものでもありません。技術的な解析、研究だけをしていれば分かるというものでもありません。
一般の方に分かりやすく言えば、運や努力の方向性とタイミングが大切ということになるでしょうが、本質的な表現をすると、先天的な資質や天命、道の選び方次第ということになります。
ある1つの真実に辿り着いたということは、そこに辿り着くべき人間だったということです。それを誇るでもなく、他のことでは他の人に劣っていると嘆くでもなく、ただそういう自分であったのだという事実があるだけです。
辿り着く先の違いは個性であり、個性は天命から生まれるとも言えます。
治療というものに価値を与えるのも天命。
治療は人そのものということです。
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