場の共有とむすび

昨年の秋くらいから、呼吸・整体の勉強会で「人と関わる場」ということについての学びが続いています。

場所選びのことではありません。自分と相手がいて生まれるその場の雰囲気のようなものです。

社会の中で生きていると、リラックス雑談している時の場とか、重苦しい議題の会議の場、厳かな儀式の場など、様々な場を経験することが多いですが、どれもそこに関わる人によって場の雰囲気が生まれています。

人に何かを伝える立場となった場合、伝え手と受け手によって生まれる場がとても重要になります。先生と生徒がいて生まれる授業の雰囲気と考えれば分かりやすいかもしれません。

場をつくるとは、伝え手側は、自分は自分で相手は関係なし、になっては場が生まれませんし、伝え手側が受け手側に合わせ過ぎると伝わらなくなります。

伝え手側は相手の雰囲気の影響を受けつつも、徐々に自分の雰囲気に相手を包み込んでいくことが必要になります。

ダラけていた感じをいつの間にかピシッとさせる、緊張していた雰囲気を和やかにしていく、そういう雰囲気づくりは技術としてできることで、そのために必要なのが、自分が自分の雰囲気で居続けることです。

この辺りの話は合気道ともリンクします。

合気道の技の稽古は取り(技をかける側)が受け(技を受ける側)の攻撃(掴む、打つなど)を受けることから始まります。

攻撃を受けた取りはそれに対して必ず何らかの反応をします。

まずは動いて対処するか、萎縮して動けず攻撃を受けてしまうかです。

動けても自分勝手な動きをしては技は相手に作用しません。

相手に合わせ過ぎるとそのまま攻撃を受けてしまいます。

相手の攻撃を受けても揺らがない、あるいは揺らいでもすぐ元に戻れる状態に自分がなっていないと技をかけることは叶わず、逆にやられてしまいます。

稽古以外の場でこうなったら自分の身が危ういですね。

自分が相手の攻撃に萎縮せず、自分の状態を保ったまま、相手との関係性を作っていくと、今度は相手が勝手に崩れていきます。

これは「相手の力を利用する」ということであり、このような相手との関わりを「むすび」と言います。

合気道の技の稽古はそのまま人との関わりを学ぶ稽古になります。

相手と関わりつつ、自分が自分で居続けることで、場を共有する、ということが起こります。場を共有するとそこに敵はなく、お互いに何とも言えない一体感が生まれます。

この感じが和合ということになるのですが、ここは頭だけでは理解しづらく、体験が必要な部分ですね。

呼吸・整体で学んだことが合気道にも生きているのは、どちらも本質的な学びで、突き詰めると同じことを別の角度から学んでいるからです。

学びの場への感謝が尽きません。

雑記

Posted by koma-hiro