小学校の計算練習
先日友人に「小松田さん、最近スピリチュアルの方に行ってるよね」と言われました。個人的には驚きましたが、「ああ周りからはそういう風に見えているのか」と思い直しました。
合気道は20年以上、ここ数年は活法、システマ 、呼吸・整体と特に体に関するものをかなり詰めて学んでいます。体というものを追求していった結果、体のあり方から生まれる心のあり方や目に見えない体の原理などを言語化したら一般的にスピリチュアルと呼ばれるものと同じになっただけに過ぎません。
一般の方がスピリチュアルという言葉を口にする時、オカルト的、ファンタジーなものというニュアンスが漂っていることが多いですが、私個人はそういうものとして語っているのではなくて、極めて現実的な内容を語っているのですが、中々そうは見えないのかもしれません。
現実的なものを積み重ねることで、目に見えない能力になったり、理解できなかったことが急に理解できるようになっただけなのですが、そうした経験は誰しもあるのではないでしょうか?
私自身のことを振り返るとその最初の体験は小学生の頃に遡ります。
私は元々算数の計算が遅い子供でした。数字を見て、頭の中に数を思い浮かべ、数えて答えを出す。足し算引き算はそれでなんとかなっていましたが、かけ算の九九を覚えるのに苦戦。覚えはしたものの、思い出すのに時間がかかってしまい、2桁の数の筆算でのかけ算や割り算に苦戦していました。
それでも毎日宿題やら自主勉強的なもので面倒くさがりながら計算問題を解いていました。
ある時筆算でのかけ算の問題を解いていた時のこと。それまで一回ごとに何だっけと思い出していた九九が数字を見た瞬間に答えが突然頭の奥底から湧いてきました。
すごくビックリしたのを覚えています。ですがその後他の問題を解いていても数字を見た瞬間に九九の答えが出てきます。もはや筆算で書くスピードがまどろっこしく感じるくらいでした。
その時を境に何故だか「計算ミスをしない」ような気になったのです。
実際計算ミスはほとんどなく、計算するスピードはその後学年が進んでも変わらず、高校では友人の間では「計算ミスが少ない人間」と言われたこともあります。
この出来事が起こった時、直感的に「算数の計算が自分のものになった」感じがしました。
自信というよりは「それが当たり前」という感覚です。
この一件以来、自分で書いて計算する答えに間違いの不安を感じたことはありません。逆に間違っていそうな時は何か変な違和感を感じるようになりました。また文章題を解いていてのひらめき方ももそれまでと明らかに違い、急に世界が明るく広がったような感じがするようになりました。
この時の経験から「計算や書取りなど繰り返し行う勉強は、こうした頭の中の仕組みをガラッと変えるために行うもの」という持論があり、実際中学校で講師をしたり、家庭教師をした時に、そこまでやり込んだ生徒は急に成績が上がるのを見てきました。
それは合気道を教えていても同じです。急に技ができるようになったり、「意味がわからない」と言っていた人が急に「そういうことだったんですね!」と理解したりするのです。
脳の中が整理されて処理速度が上がったという見方もできるかとは思いますが、脳の仕組みが解明されてないのでそれが正しいかは分かりません。
計算したらひらめき力がアップした、ということに関しては、数学者ラマヌジャンが「数式を女神に教えてもらった」と言ったエピソードを聞いた時にすごく納得したことを覚えています。昔の人が「天啓を受けた」とか「神や精霊から教えてもらった」というひらめきの類は「何故思いついたのか説明がつかない。これは神が教えてくれたに違いない」というものが多く、こうした体験のない人からすればスピリチュアルな話そのものです。
合気道の稽古で技の説明をしている時に自分でも疑問に思っていることの説明が急に口をついて出てきたり、急に動きができるようになったりすることがあり、「これが天の教えということなのかな?」と後で思うこともあります。
地道な訓練の積み重ねの果てに自分の意図しない自分が様々なひらめきを獲得する。大なり小なり誰しもそんな経験はあると思います。
そうやって出てきたものを「スピリチュアルの方に行っている」と半ばオカルト扱いされるのには違和感しかありません。
ですが物事を突き詰めていくとスピリチュアルなものと無関係ではいられないということを体で味わってしまったので、それを否定することもできません。
以前何かで「スピリチュアル的な要素を自分の中から排除すると世界が狭くなる」と書いたのは、こうした実感があり、それではもったいないなと思ったからです。
とはいえ自分の中に実感がなく他人が出した答えとしてのスピリチュアルな内容を取り入れてしまうと洗脳されたり悪用されても気づけません。
そういった意味でもボディワークなどで自分の体を通して自分を知る、自分を磨くという活動は非常に意味あることです。
あるいは生き方に迷う人というのはそうした体験が少ないのかもしれません。
体は最高の自分最適化ツール。
利用しない手はないです。
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